第1670回例会(2022.3.1)をオンラインにて開催しました

第1670回例会(2022.3.1)をオンラインにて開催しました。

 

会長挨拶 森 義隆会長

 はやいもので2022年も3月を迎えました。森-山本年度も残すところ4ヶ月を切

りました。いよいよ次年度に向けてのインターバル期間となりました。本来であれば

リアルの例会で様々な意見交換を進めていきたいところですが、与えられた環境で、

できることをしっかりと実施していきたいと思います。

 2月26日には次年度の地区委員の研修がハイブリッドで開催されました。地区も

本格的に次年度へ向けた準備に入っています。先週の例会でも申し上げましたが、ロ

ータリー全体で「新しい形」を模索しているようです。我々西クラブも否応なく、未

来へ向けた準備、活動計画やビジョンづくりを始めていく時期にさしかかっているよ

うに思います。会員の皆様のお力添え、ご協力をお願いする次第です。

 

 さて、ロータリーの友2月号に「第50回 ロータリー研究会リポート」という記事

が掲載されていました。そもそもロータリー研究会とは「国際ロータリーを知る機会

」であり、年に一度、情報を更新する機会と位置付けられているそうです。昨年12

月7~8日に東京で対面により開催され、578人の参加があったそうです。今回は「輝

く未来を創る」を研究会テーマとして掲げ、三つのセッションで協議が行われまし

た。少しご説明すると、第1セッションでは「多様性ある会員基盤」というテーマ

で、仲間を増やして会員基盤を広げるにはどうしたらいいのか意見交換がされまし

た。また、第2セッションでは「未来を創る奉仕活動」、第3セッションでは「ロータ

リーの未来像」をテーマにこれからのロータリーを考え、ビジョンレポートに関する

分析等が行われたそうです。かいつまんで申し上げれば、従来と同じことをやってい

ても人が集まらない、特に若い人から敬遠されている、何とか人を集めて組織を拡大

するためにはどうすればよいのか、魅力あるロータリーを創るにはどのようにすれば

よいのかが協議されているようです。最近感じていることですが、2790地区の新入会

員の紹介欄を見ていても、今を時めく「IT関連企業」の若い社長が入会している形跡

がありませんし、以前のようなロータリアンが地域社会でのステータスという時代で

もなくなっているように感じます。いよいよ新しいロータリー像が求められているよ

うに感じています。

 

 同じロータリーの友2月号には「DEI」として地域社会に門戸を開き、これまで入

会に障害があった、または入会を勧誘されなかった人たちを仲間にしようというRIの

タスクフォース委員長のメッセージが掲載されていました。

 ロータリーが明らかに変わろうとしている、また変わらなければ組織の発展がない

という危惧が感じ取られます。さまざまなご意見があり、どれが正しいということは

一概に言えない面がありますが、少なくとも西クラブはしっかり情報を集め、これか

らも協力してクラブ運営を進めるために、どのような取り組みをすればよいのか、皆さんと一緒に考えていく必要があると感じたところです。

 

 以上本日の会長挨拶とさせて頂きます。

 

 

幹事報告 山本 衛幹事

ロータリーからの連絡ではないのですが、ビチャイ・ラタクル 元RI会長の訃報が入っております。

(タイ・トンプルRC)2002-03年度RI会長

ロータリーレート 1ドル 116円です。

ロータリー友事務所より、新型コロナウイルス感染症に対する友事務所対応の連絡

「バギオだより」が届いております。

ガンバー月信が、配信されております。

財団室NEWS3月号 が、届いております。

松戸北RCさんより外部卓話のご案内 4月6日 於 ロイヤルガーデンパレス 柏日本閣

ハロルド・ジョージ・メイ氏 「リーダーシップに本当に必要なこと」

地区フェローシップ委員会より 職業分類データベース 情報提供のお願い (第3弾 全ジャンル)

3月のプログラムについての連絡

 

本日の例会内容

石井会員による 「スリランカ支援」について

卓話者 石井 弘会員

スリランカ支援

皆さん、こんにちは。今日はですね、スリランカの支援についてということで、お話をさせて頂きたいと思います。これ、思いだせますか、皆さん。松戸西RCはですね、スリランカに楽器を支援活動したときの写真です。まず、松戸西とスリランカでは、三浦元会員が、サジー・ワニーさんという、米山奨学生を、スリランカの学生でしたけれども、受け入れたところから、スタート致しました。そして三浦さんが、サジー・ワニーさん達が立ち上げた、コスモス奨学金という、子供たちの支援団体があるのですが、そこの会合に出てですね、大変感動して、なにかスリランカに支援をしたいという、申し入れがあったところから、これがスタートを致しました。そのときに中村さんはですね、海外に、自分のところの古くなった電子オルガン(シンセサイザー)を送ってもらえるということがあって、言葉が通じなくても、音楽は世界で通じるということで、音楽プロジェクトが、開始をされました。

 

現地に行った時の写真です。800人の生徒が、こうやって迎えてくれました。会長は、このとき河合さんでした。こんな形で行いました。こんなおもてなしを頂きました。これ、上着をきておりますが、だいたいこのなかは、40度くらいでした。顔がほとんど、ほてっているんですけれども、そのなかで、河合会長が、伝統儀式で、左の画面のほうに、ローソクに火を着けているところです。歓迎式典です。校長先生の挨拶があって、スリランカは文部省関係の方々に、お坊さんが多いですね。仏教を教えるということで、お坊さんが多いので、

役所の方が、お見えになって、そして右のほうは、そこの学生が歓迎の歌を歌ってくれたところ。記念品の贈呈をしております。大歓迎をされているところです。記念撮影をしたところです。

団長として、そのときの会長が、河合さんでしたので、そのときの思い出話やら、苦労話やら、3分くらいで、して頂けないかと思います。

河合さん。お願いできますか。

 

河合直志 会員 

はい。私が会長エレクトのときに、飲みに参加しまして、そのときは、浅野さん、私、谷口さん、山本現幹事、何人かで、飲んだんですね。お酒の勢いというのは、すごいもので、スリランカ行こうという話しに、盛り上がっちゃいまして、そこから、スリランカプロジェクトというのが、始まりました。それで、中村さんが楽器を送っているという話から、音楽室とか、楽器を寄付するような形ですすめたいなという形になってきまして、ただ予算が、交通費が、かかっちゃうので、このプロジェクトに交通費を入れるわけにいかなので、自分たちの交通費は自分たちで。メルビンさんにかなり動いてもらったので、メルビンさんの交通費は、なんとかプロジェクト内で絞り出そうと思いました。なるべく、お金をかけないようにスタートしたのが、まず、いらない楽器を無償で集めるという形でピアニカを、各会員、知り合いに、要らなくなってピアニカを、持ってきて頂いて、みんなでそれを清掃して、それも、もっていくという形と、現地でメルビンさんに楽器を用意して頂いて、最終的な予算は55万ちょっとで、なんとか終らせたと思います。一番苦労したのが、視察隊が、8年前の11月に私、山本さん、浅野さん、谷口さん、関口さん、5人で行ってまいりました。そのころちょうど、朝ドラ、マッサンが、やっている時代で、行くときに成田でお酒を買ってもっていこうという話で、それは自分たちで飲もうという話で、そのころの竹鶴の21年ものが、1万円で買えたんですが、今となっては、とてもその値段で買えない時代でしたね。1万でなんて、とっても今買えないです。それをもって、行きました。8時間飛行機に乗って、飛行場を降りて、1時間ほど、すすんで、ホテルに宿泊できた。次の日が、次の地区に行くのに、車で、4時間くらいかかった。すごい遠いんですね。高速もなく。視察隊としては、これは次の日に4時間もつぶれてしまうと、事業ができないということで、そういう話しで、当日、次回、本番のときは、飛行場に着いてから、直接、キャンディまで、行っちゃうという、強硬な手段で行きまして、実際のときには、飛行場についてから、さらに、4から5時間さらに車に乗って、キャンディまで行ったという。ほぼ、強硬スケジュールでやったんですが、流石に、石井さんも、ぐったり疲れていらっしゃったと思うんですが、あのときは、これをやらないと、次の日に時間がとれなかったので、大変だったなという思いであります。それで、長くなるんですが、距離があるので、いずれ、高速ができたら、また、行きたいなと思っているんですが、その、車に乗ったというイメージが強かった。視察隊は、それで終らせたのですが、当日のメンバーが、私、山野井幹事と、高橋さん、石井ご夫婦と、三浦ご夫婦、細田さん、8名でお伺いしたのですが、このときの写真が、たぶん、 乗ってます。私のバックになっているのが、式典会場のステージから立った、写真になってます。生徒がこれくらいの量と、前にお坊さん、お坊さんは、お役所の方。が、見ているなかで、式典をして頂きました。このあとは、式典会場に入る前には、大勢で、お出迎えをして頂きまして、暑い中、大変、もてなして頂いてたというイメージです。音楽室の写真がないのですが、学校の一部屋を、音楽室という形で、西ロータリークラブの看板をかけさして頂きました。そこに楽器を置いてきたという形です。

すみません。長くなりまして。

 

石井 弘会員

はい。河合さん、そんなことで、第1回目のスリランカの8年も経つのだなあと、思いました。

次にいきます。

スリランカと日本の関係をご説明いたします。スリランカと日本の歴史なんですが、実は、日本は1945年に敗戦を致しました。それから6年後ですね、サンフランシスコ講話会議、講話会議ですので、勝った国が負けた国を、今後どうやって支配していくかという会議でございました。そのとき、ソビエトから、今はもうロシアですが、こういう提案がありました。なんか、ウクライナと似てますけれども。右の地図をみてください。4島を、日本列島を4つに分断して、統治をしていこうというのが、ソビエトから出されました。北海道、東北までをソビエトが。それから関西までを、アメリカ。それから先が、イギリス。四国のあたりが、これはまだ、共産党が、蒋介石の軍が、国民党が戦争をしている時期でしたので、まだ、国民党軍が勝っている時期なので、国民党軍の旗がなってますけれども、4つの国で日本を分割して統治をしていこうと。東京に至っては、アメリカ・イギリス・中国・ソ連 4つの国で、東京都を4つに分断して統治しよう。大阪については、アメリカとイギリス。そして沖縄は、アメリカが統治をする。こういう案が出されたのですが、

写真にでている、ジャニウス・ジャヤワルダナという、当時のセイロンの大蔵大臣。後の大統領ですが、この方のスピーチによってですね、大変な名スピーチだったといわれております。物の本によると、素晴らしいスピーチで、拍手が鳴りやまず、オペラハウスの窓ガラスが、震えたという位ですから、素晴らしいスピーチが行われて、彼は、日本列島、1島独立と、そして、戦争賠償金の放棄と、いうことを訴えまして、このスピーチによってですね、各国の方々が、、1島独立、、戦争賠償金の放棄という形に動いて、日本が、1島独立を果たすと。いうことで、スリランカは日本の恩人であると。ときの日本の代表、吉田茂が、新聞にコメントを寄せておりました。大変、そんなこともありまして、親日家であります。ジャニウス・ジャヤワルダナという大統領、親日家で、遺言書のなかに、自分が死んだときには、左の眼は、スリランカ人に、右の眼は日本人にということで、この方の、薄膜は、後に亡くなったあと、長野のご婦人の目に、移植をされえおります。こんな戦後の歴史があったことから、大変、親日家の国であります。私とスリランカの関係は、実は、松戸西クラブがこういう活動をしたなかで、サジー・ワニー夫婦と知り合いになってから、実は、コスモス奨学金をこの二人がやっておりましたので、我々、松戸西RCでも5名のかたに、コスモス奨学金に入っていただきました。そして、たまたま私は地区の国際奉仕委員長でありましたので、このコスモス奨学金を取り上げて、だんだんと大きくなっていく形にすすんでまいります。そして、たまたま私は奉仕プロジェクトの統括になりましたとき、実はサジーさんを介して、スリランカ大使でありました、ダンミカさんという大使なんですが、この大使、非常に面白い方で、芸術家でしたね。日本のつくば大学で学んで、その後、東海大学の大学院、マスコミュニケーション科を、大学院、卒業しておりまして、スリランカでは、スリランカテレビのCEOでございました。そしてこのかた、在学中に、山田洋次監督の助手をして、フーテンの寅さんの助監督をしたことございます。そんな関係もありまして、この方が、スリランカテレビのCEOになりましてから、スリランカでフーテンの寅さんが、上映されております。この方の功績だと思っております。大変、人気があるそうです。この方とですね、私、4回くらいお話をする機会があって、スリランカクラブというのを、立ち上げることになって、まいります。そしてその基本方針を決めたのは、左側に5つ乗っていると思うのですが、経済的な困難により教育を受けられない子供たちへの支援活動 これは、コスモス奨学金でやってます。日本語を学びたい子供たちへの日本語学校建設事業 今、スタートして6回目がここで、やることになりました。

国内の、日本にきている学生たちの、アルバイト、宿泊先の支援活動、これも行っております。帰国したときの、子供たちの就職支援 現在のスリランカの就職率はほぼ0といってもいいくらいですので、日本の国から立ち上げを、してもらってですね、起業してもらって、なんとか子供たちの支援活動をしていくのが、4番目。5番目に、地区のクラブへの卓話。これはいま、実施をされて、今、20カ所くらい、私がすでに、回って、おります。子供たちの支援は、サジー・ワニーさんと、鈴木先生という山武市の校長先生が立ち上げた、ものでございますが、こういうコスモス奨学金、こういう形で、月千円。年間1万2千円で、こどもたちに、支援をしていくという。子供たちは、だいたい、小学5年生になりますと、貧しい子供たちは、だいたい、働きにでます。ですけれども、特に学校で優秀だった、1番から、だいたい5番くらいまでの子供たちを、面接をしたうえで、この子ならという子たちに、月千円。年間1万2千円の支援を行っている団体。今、全体でだいたい380人くらい支援しています。そのうちの100名は、ロータリアンが今、支援をしておりまして、支援しているロータリアンは、だいたい45名くらいになっております。これ、内容です。次、これ、申込書です。もし、今西クラブで5名ほど御参加頂いて、5人の里親になっていただいておりますが、もし希望者がおられましたら、是非、名を連ねて頂ければと思います。コスモス奨学金のほうから、面接を行って、こういう形でですね、この子は、こういう子ですよという形のものが、送られてきます。それで、日本の里親で、この子を支援しようという子がいれば、その子に支援をして頂くようになっております。今年に入りましてから、漆原パストガバナーに4名ほど支援をして頂きまして、4名が決まりました。今、流山中央のほうにも、名簿が行っておりまして、そちらでも、今、参加を頂く予定になっております。もし、ご希望の方、いらっしゃいましたら、御申込を頂きたいと思います。その子たちの家です。だいたい、こんな家です。日本流でいうと、バラックという形になります。右のほうは、だいたいこのような土間でございまして、このような生活をしておりまして、水道、ガス、がなく、トイレがあれば良い方。という感じのところで、子供たちの支援をしております。これはですね、実は八日市場ロータリークラブの例会の模様です。ウチの杉浦会員からご寄付を頂いた看板です。実は、八日市場RCは、昨年の2月に、水が大変スリランカは悪いわけですから、浄水器を、産婦人科に約20台、30台くらい、送って頂くことになりました。本来であれば、現地に行って贈呈式を行う予定でしたが、コロナで向こうに渡ることができなくなりまして、スリランカクラブを通して、コスモス奨学金の、現地本部から、現地の産婦人科のほうに、浄水器を届けていただきました。届けて頂けなかったので、現地の様子がわからないということで、現地の産婦人科と八日市場RCとをリモートでつないで例会をしました。向こうのドクターです。ドクターが出てまいりまして、八日市場RCへの御礼と、現在浄水器がどのように使われているか、ということを発表して頂いております。これは、サジーさんが、質問に対して聞いているところです。サジーさんが通訳をして、向こうの先生が答えています。これ、ドクターの写真です。これ、漆原さんね。リモートでやりましたので、第2790地区で初めて、リモートで、こういう例会を実施しましたので、漆原さんが、入ってきて頂いて、あと何人か、他の方々、私もここに入っているのですが、入って、状況を見守っているところです。次はですね、日本語学校を、実は開講いたしました。今年、もう、5回目、月に一遍ずつこういう形で、日本語学校をスタートさせました。本来は、スリランカ国のですね、ビルを借りて、やる予定で、現地調査を2年間にわたって、行っておりまして、ビルを借りるぞ。というところでコロナになりました。そこで、準備もだいぶ進めておりましたので、日本語学校をリモートで、スタートさせようということで、6か月前に、予備授業を、どんなトラブルが起こるかわかりませんので、まずは試すと。いう形で予備授業をスタートさせました。サジーさんが、千葉県山武市の職員でございましたので、サジーさんがいらっしゃらないと、通訳ができませんので、山武市の小さな公民館なんです。そこの御紹介を頂いて、そっくりお借りして、その中に、テレビ機材、その他を入れてですね、山武市の、SGC、山武グローバルセンターという ところの協力を頂いて、この方々も日本の先生なんですが、この方々も含めて、日本語のリモートをスタートしました。この時間は質問時間です。向こうから質問がきます。それに対して、我々が即座に応えなければならないので、ほぼ全員が、パソコンと携帯を持ってます。そこで、質問に対して、すぐに応える。何故、その日に応えないといけないかというと、今回入った子が、貧しいので、次の授業に、出られるかどうかが、わからないので、1回で答えないといけない。ので、このような形で、全員で答える体制を取っています。これは、リモートで日本語学校に、参加してくれる子たちの画面です。実は、本来であれば、顔が映るのですが、顔を映すと、SIMカードというんですか、携帯の、あれが減ってしまうので、ここに映ってくる子は、貧しいので、なるべく通信料を、使わないようにして、参加してきます。これが、毎回やっているタイムスケジュールです。毎回やってます。集合を11時にして、準備が1時間から1時間半。それからリハーサルが一番大変で、リハーサルを全員で、ここでやります。それからスタートして、1時限目・2時限目・3時限目を行って、4時限目に質問を全員で答えると。こういうようなスケジュールで日本語学校を行っています。今後のスリランカの活動は、いまスリランカクラブを立ち上げて、約6年目になるのですが、幅が広がってまいりました。ひとつは、こちらに就職した方の、就職活動というものも、少しお手伝いができるようになりました。ということと、コスモス奨学金も、今、380名の子供たちがいよいよ大学を卒業し始めました。その子たちが日本に来て、浅野さんがやられているように、実習生として来たいという話があるんですが、なかなかそれもうまくいかないので、実は今、スリランカの大使館がやっている、スリランカ協議会という、日本のスリランカ人が、日本で商売をしている人たちを、ひとまとめに、登録をさせている団体がございまして、そこにお願いをして、技能実習生をこちらの御商売に合うところに、お世話をするという、つなぎの役目を、実は行ってきてります。だんだん、こういったことも、まわってきてます。日本語学校につきましては、5回目が終わった段階で、実は向こうのロイヤルカレッジという学校があるのですが、日本でいうと、東大と慶応を混ぜたような、学校です。学力最高、金持ち、大臣、その他の方々の、子弟が、はいる学校だそうです。そこの日本語学校の先生が、このカリキュラムにはいって頂いて、高好評だったので、4月2日にはですね、そのロイヤルカレッジだけで、一度講義をやるという形に拡がってまいりました。いままでは、100名のですね、方々を対象にしてましたが、4月からは300名に増やして、そういう方々を、増やしてスリランカのなかに広げていこうと、今、考えております。日本語学校開設にあたりましては、一番初めにでてきました、ダンミカさんという、大使がおりましたけれども、大使のほうから、ざっくばらんに、スリランカでは、まともな日本語学校がないので、是非とも、きちんと日本の伝統文化を教えるよな、そうゆう学校を作ってほしいという要望がありました。

残念ながら、ダンミカ大使は昨年、亡くなってしまいましたので、彼が掲げた夢を、是非とも、叶えてやろうということで、我々も頑張っているとこで、あります。来年、もし、スリランカに対する交際奉仕事業が、できるのであれば、八日市場RCのように、リモートの例会ですね。もしこういった、事業ができれば、スリランカには渡れないということもあるので、図書を、向こうのお寺さんがやっている、日曜学校があるのですが、そこに図書を寄贈する事業ができないかと、コロナが収まっていれば、向こうに渡れますが、渡れなかったら、この八日市場RCと同じように、スリランカクラブを通して、コスモス奨学金の本部を通じて、そちらに寄贈して、松戸西RCと、これと同じようにリモートで、現地と結んだ例会がやってみたいなと。そうすると現地の模様もわかってくるだろうなと思われますので、こういう感じでできたら良いかなと。いうふうに思います。3日前に、サジーさんの御主人のメルビンさんから連絡がありまして、スリランカの現状を聞きました。現状は、コロナの関係で、隔離をされている子供たちが多くて、約380 名の子供たちを回った段階では、何名か、隔離をされているので、会えなかった子供たちも、出てきていると。昨年の2月に皆さんから、食べる物が無くなったというSOSが出たので、その方々にお米を届けました。残念なことに、お米を届けているうちに、15人のかたに、配送をしていただきましたけれども、配送をしてくださったうちの2人がコロナにかかりました。2名の方が亡くなってしまいました。非常にそんな状況が伝えられております。私が支援している子供は、15才でございますけれども、大変スタイルが良くて、美人さんでございましたけれども、15才になったときに、家庭が貧しくて、食べていけないということで、軍人さんからですね、私の嫁さんになるんだったら、家族を面倒みてやる。と、いうようなことがございまして、お嫁に行かされてしまいましたので、今は、別の方を支援している。

非常に東南アジアではありそうな話なんですが、ちょっと私としては、ショックな話しでございました。こんな情勢が、今、伝わってきております。もし、来年こういうことができるのであれば、河合さん、高速道路もいよいよ通ったようですよ。高速道路が通ったら行くという、河合さんのですね、約束も踏まえて、来年あたり、もし行けたら、行ってみませんかと。いうことで、そんなような事業が、出来たら素晴らしいなと思っております。以上、スリランカの話しをさせて頂きましたどうもありがとうございました。

 

2022年3月3日