1823回例会(2025.7.15)を開催しました
松戸西ロータリークラブ 第1823回 例会 令和7年7月15日
司会進行 関口 貴之会員
点鐘 杉山 由祥会長
会長挨拶 杉山 由祥会長
幹事報告 河合 直志前幹事
外部卓話 松戸市長 松戸 隆政様
改めまして、皆さん、こんばんは。本日は、松戸西ロータリークラブの例会にお招きを頂きまして、誠にありがとうございます。ご紹介を頂きました、このたび6月3日付けで、第25代松戸市長に就任することになりました、松戸隆政と申します。どうぞ、よろしくお願いいたします。ロータリークラブさんで、こういったお話をさせて頂くのは、私二回目でありまして、以前は10年ほど前に、足利のほうで、お話をさせて頂きました。やはりロータリークラブさん、歴史のある団体ということで、前もピリッとした雰囲気で緊張してしまうのですが、その辺ご容赦いただいて、お話を聞いていただければなあと思っております。今日は、初めての方もいらっしゃいますので、私の自己紹介をこれから、松戸市政の、どんなことをしていくのか。どんな課題があるのか、ということで、お話をさせていただきたいと思っております。今日は、パワーポイントのプレゼン資料を作らせて頂きました。ただこちら、市の職員さんが、作った資料ということで、あまりこちらにこだわらずに、お話をさせていただきたいなと、思っております。
それではまず自己紹介をさせていただきたいと思っております。私、1978年松戸の大橋という、20世紀が丘のところで、生まれました。20世紀が丘というと、20世紀梨が有名らしいのであります。そちらの地域は、まさに梨が、20世紀梨が見つかったところで、見つけたのが、松戸覚之助という人間でございます。私の遠縁にあたる人間ということで、私も代々、何百年も前から、松戸で代々、おります。ただ私も、実家は農家ではなく、松戸の大橋というところで、ラーメン屋をやっておりました。両親二人で、昔ながらの志那そばというか、そういった街中華をやっておりました。両親も高齢ということで倒れてしまって、もうやっていないのですが、昔ながらのラーメン屋で生まれも育ったところであります。そして私は、小さい頃野球をやっておりまして、プロ野球を目指していたのですが、4年生ぐらいで、ボコボコに、ピッチャーだったのですが、打たれて、その4年生の段階であきらめて、当時から、公のための仕事をしたいなと、ということで、当時は外交官を志していたのですが、今は松戸市のためにということで、活動させて頂いております。大学、大学院を、経済学を学んで、いたのですが、その後、大和証券SMBCという投資銀行へ、企業の再生とか、地域の財政業務に携わっておりました。私が働いていた当時は、まさに不良債権問題が非常に大きな問題になっておりまして、足利銀行という銀行が破綻をいたしまして、その足利経済、地域の経済がボロボロになった時期でありました。鬼怒川とか温泉街ですね。本当に投資もできないくらい、お金が回らなくなっていた時代でありまして、そういった栃木県再生ファンドを作ってですね、栃木県の再生をしたり、また、三洋電機という白物家電で有名な企業が、あったとおもうのですが、そういった企業の再生業務に携わっておりました。その後、2006年に、地域のために活動したいということで、最初は、私、市議会議員選挙に立候補させて頂きました。当時27才ですね、会長の杉山さんと、一緒に初めて、戦ったというかですね、戦わせて頂いたところであります。その時、私は、杉山さんが、2千何百票ということで、当選をされたに対して、私は、1300票で落選を致しました。当時、落選をしてですね、これはしっかりと修行をし直そうということで、4年間、大学院に行きながら、秘書の仕事をしてですね、衆議院の公設秘書をやらせて頂いて、どぶ板営業というかですね、政治のイロハというものを、学ばせて、頂きました。その時にですね、出会った、女性と今も結婚したということで、ある意味、ラッキーな、4年間だったと、今は前向きに考えさせて頂いております。
そして、32才のときに市議会選挙の4年後、32才のときに、県議会選挙に立候補させていただきました。そのときに、2011年の4月10日が選挙だったのですね。そのちょうど、1か月前、3.11の東日本大震災が発生をいたしました。私の妻が、宮城県石巻市出身ということで、だいぶ、震災、災害でやられた地域で、妻の両親も、石巻の市役所の職員ということで、非常に災害なんだなと。私にとっても、身近なことであり、また、松戸市においても、当時選挙中、計画停電というのがあって、選挙でマイクを握って演説をしていても、自粛をしろと言われながら、非常にやりにくい選挙だったんですが、自粛をしていたらやはり、新人は勝てないということで、文句をいわれながらも、選挙をさせて頂いたと、 ということで、32才のときに、初当選をさせて頂きました。それから12年間、県議会議員として、活動をしていたところであります。やはり、当選をした直後から、私、東日本大震災、復旧特別委員会とういことで、千葉県もだいぶ被害を受けたので、松戸市もホットスポットでありましたし、そういった災害対策が、私にとってのメインということで、12年間活動をして参りました。この10年間の間は、そういった災害対策や、インフラ整備というのを重視に活動をしていたところであります。
そして、つい先日の、4月の半ばに本郷谷市長が、急遽、体調不良ということで辞めるということで、私も県議会10年務めさせて頂いたのですが、退職を、辞任をさせて頂きまして、立候補をし、6月1日の投開票を市長選挙で当選をさせて頂きました。そして、新任をしてから1週間後の6月7日にまずまっさきに、やった仕事が、こちらの「緑の愛護の集い」ということで、秋篠宮両殿下にいろいろと、対応させていただくなど、本当にありがたいお仕事を担当させて頂いたところであります。この前私、非常に長く県会議員として活動してまいりまして、また地域活動ということで、青年会議所もですね、13年くらい務めさせて入らせて頂いて、あと商工会議所の青年部、YEGに入らさせて頂いたり、地域活動を様々していくなかで、様々な繋がりのなかで、消防団なんかも入っていたのですが、随分、皆様から意見を頂きながら、今市長として、対応させて頂いています。
そうしたなかで、私の公約ということで、5つの柱を掲げさせていただきました。防災であるとか、子育てであるとか、また、スポーツ政策など、あげさせて頂いたのですが、今、まっさきにやっていかなければならない。というこで、今回の、公約のなかでも、この行財政改革とかの話をさせて頂きました。そのなかで、特にどういったことを、いま、急いでやらなければならないか。ということで、大きく3つ、お話をさせて頂いております。
まず一つ目が、病院のお話です。松戸市立総合医療センターという病院。つい先日、週刊現代にも松戸市立総合医療センターの話がでておりました。全国で100か所、「この病院にはかかってはいけない病院」ということが、ランクされているんですね。松戸市立総合医療センターは、ワースト25位ということで、1頁目に出ておりました。ただ、単純に赤字額で、出しているんで、赤字が多かったということで、25番目にランクインしてしまったということです。それ、2年前も、松戸市立総合医療センターの赤字額とういことで、昨年に関しては、もうちょっと増えるんじゃないかなと、いうことで、あります。やはり、松戸市立総合医療センターは、非常に重要な、地域の医療拠点なんですね。やはり例えば救急医療であるとか、また小児科、周産期と呼ばれる、産科であるとか、いわゆる赤字が出るような、医療を、松戸市が、東葛地域のなかで、一手に握っているということでありまして、この松戸からそういった大事な医療がなくなるとですね、東葛地域で、救急も、小児科であるとか、産科がなくなってしまうということで、松戸が最後の砦ということで、なんとか守っていかなければいけない。ということで、これからですね、9月にかけて、再生チームを立ち上げる。なんとかして、松戸の医療を守っていかなければいけないということで、今取り組ませて頂いております。今、外部から、人材を採用しようとしているのですが、やはり医療の再生というのは、私、初めてなんですが、やはりドクターと言われる方と、看護師さんと言われる方が、非常に専門職でありまして、いかにプライドが高い方々が、なかには、どういう風に再生をしていくのかは、非常に難しいのですが、やはり今回、9月に向けて、再生チームを立ち上げて、なんとか、取り組んでいきたいなあと、思っております。いろいろと言われているとおり、民営化の話だとか、また、他にも、独法化といわれるような、民営化に近い、取り組みがいいのか、いろいろと、皆様にもいろいろとご意見を頂きながら、進めていきたいなと、思っております。
そしてもう一つ、市役所の、建て替え、移転のお話であります。この松戸駅周辺の、お話ということで、今回も選挙の争点にもなりました。この建て替えなのか、移転なのかということで、今でも、いろいろなご意見を頂いております。今ですね、いずれにしても、この市役所に関しては、もう何十年も前から、平成の初期のころから、耐震化がまずいということが言われておりました。こちら、建物に関しては、今、本館、新館、議会棟、別館と、4つ建物があるうちの、二つが、非常に耐震化がまずいということで、あります。この本館と新館が耐震化の基準を満たしていないということで、ありますが、一応市としては、包帯工法という、柱に布というか、包帯みたいな形で巻いて、ぺシャッと倒れないように、なんとか、今、維持をしていると。いずれにせよ、今、市民の皆さん、そして、市役所の職員の命を預かっているような状況ということで、一刻も早く、仮に移転をすることも考えなければいけないということで、今、交換させていただいております。建て替えにしても、移転にしても、いずれにせよ、新しい仮の庁舎も考えないといけないということで、動いています。ただですね、両二つの施設を合わせると、1万5千平米の仮の施設を、この近くに探すことができるかと、というのが、今非常に大きな問題になっているのですが、1万5千平米をですね、建物、丸ごとの建物で、1万5千平米というと、ほとんど、今、残っていない。松戸市にはそんな大きな建物がないのも、現状であります。ダイエーさんに関しては、もうすでに民間企業さんに、売却をすると、ということで、あそこも使えない。伊勢丹。キテミテ松戸であるとか、また、松戸ビルに関しては、いろいろと入っているということで、どのようにしていくのかということを、これも9月までに、示すということで、私達、急いで動いているということであります。
こういう形ながら、あとは、新松戸の新しい東側の、土地区画整理事業であるとか、常盤平のURの再生、また、ごみのクリーンセンターですね、和名ヶ谷に1か所あるのですが、あと9年ほどであちらも、閉まる。ということでありますので、早く作らないとですね、松戸のごみをどこにやっていいか、わからない状況になってしまう。松戸もより大きな問題が、山積をしているような状況になっています。こういったことを話していると、だいぶですね、大型に事業、やらなければいけないことで、だいぶ夢がないような話になってしまうのですが、今、プロスポーツチームを誘致しようということで、松戸市単体ではなかなか難しいので近隣の自治体さんと、お話をさせて頂いております。具体的に、今、市川とですね、お話をさせて頂いているところがありまして、市川の東松戸の近くの、大野大町エリアに、新しいサッカースタジアムを作るという。そこにJリーグのチームを持ってこようと、というお話が実は、あってですね、今日も。場合によっては連携して、うまく東松戸だとか、そのエリアに、スポーツチーム、そして、産業をもってきて面白い街にしようじゃないかと、という話もさせて頂いておりますので、少しでも、夢が描けるような街を描き、作っていきたいなと、今、考えているところであります。
これからもですね、やはり市役所というところは、チャレンジ精神、スピード感、情報公開がやはり、足りないなと。特に、企業が活躍されている、会社を作って、立ち上げて、活躍されている皆さんからするとですね、市役所って、遅いなあとか、チャレンジ精神がないなと、思われる方も多いと、思うので、こちらに関しては、私も、もともと企業出身でありますので、こういった精神をもって、しっかりと松戸市政を変えていきたいなと、というふうに思っているところであります。はい。やはりですね、松戸で生まれ育った、私にとって松戸は、かけがえのない故郷であります。今、松戸、元気がないんじゃないかと、というようなことも、言われておりますが、しっかりと、皆様からも、ご意見を頂きながら、松戸市政をしっかりと、前に進めていきたいと思っております。今日の、会長の杉山議長ともですね、今は議長ではないですね。杉山会長ともですね、議会人と、そして市長ということで、ときには、ばちばちやりあいながらも、ときには連携をしながらですね、松戸市政を前に進めていきたいと思っておりますので、これからも是非、ご指導いただければと思っております。以上でございます。本日は、ありがとうございました。
御礼
委員会報告
お祝い披露
ニコニコ発表 日暮 孝行会員
点鐘 杉山 由祥会長
閉会
懇親会
懇親会乾杯挨拶 石井 弘ガバナー補佐
懇親会閉会挨拶 山田 正記会員