第1829回例会(2025.9.9)を開催しました

第1829回例会(2025.9.9)を開催しました

 

松戸西ロータリークラブ 第1829回 例会 令和7年9月9日 

 

 

司会進行 関口 貴之会員

 

点鐘 竹内 義彦副会長

 

 

食事 

 

 

会長挨拶  竹内 義彦副会長

皆さん、こんにちは。今日は、会長は休会ということで、代理で副会長の竹内が会長挨拶をさせて頂きます。よろしくお願いします。先週、移動例会ということで幕張のマリンスタジアムに行ってきました。昨年参加して、今年も参加しました。やはりこれが恒例化ということで、やはり皆さんの交流を深める場としても、良いかなと、思いました。暑い中、参加して頂いた皆さん、お疲れ様でした。ありがとうございます。急な会長挨拶はできませんので、8月の奉仕プロジェクトセミナー参加の報告ということで、この場を借りてさせて頂きます。私と、社旗奉仕委員長の山岡会員と、二人で行ってきました。内容は、TKP千葉で、やりました。午後1時から基調講演として、元千葉県知事の堂本 暁子さん、92才、ということで、環境豊かな千葉県づくり。ということで、1時間ほど、プロジェクトを見ながら、説明をしておりました。環境づくりということで、里山条例を、作ったということで、環境について、説明していただきました。それから二部、各委員会報告ということで、たまたまかわかりませんが、松戸中央RCさんの報告ということで、ベトナムの報告で、今年の4月4日に、ベトナムに行きまして、小学校のほうに、子供のための、教科書等を、贈呈したということで、報告がありました。ということで、二人で、行ってきました。私も初めて、勉強会に参加しまして、他のロータリークラブの活動をしていることを実感しました。こちらの、松戸西RCに関しては、記念行事がありますので、これが今後、我々の、PR活動になるんだと思いますが、新しく入った、我々にとっては、なかなか、何をやっているのか、わからないのが、現状だと思います。ですから、そんな行事に参加して、やはり実感として、やることが、ロータリーの会員として、自覚を深める一つのきっかけだと思いますので、先輩方、是非、新しい方に声をかけて頂きまして、参加を促して、それで交流を深めて、松戸西RCを、活性化して、盛り上げて頂けると、思います。以上、まとまらないのですが、以上とします。よろしくお願いします。

 

幹事報告 河合 直志直前幹事

松戸北RCさん 松戸中央RCさん 例会臨時変更のお知らせ

TUNAGU2790プロジェクト 賛助クラブ募集のお知らせ

ロータリー公共イメージコーディネーターより冊子が届いております。

ランタンに思いを込めて 世界ポリオデイのお知らせ

財団室NEWS 

基本的教育と識字率向上月間のチラシ

風のたより

米山梅吉記念館より冊子

 

卓話 福岡 秀実会員 

 

皆さん、こんにちは。今日は私の個人的な紹介と、会社と書店業界のことと、ロータリーのことをちょっとお話させて頂ければと思います。私は、1950年9月1日生まれで、75才になりました。ついに後期高齢者となってしまいました。こないだ免許も更新の時期で、マイナンバーと免許証と、どっちかでも取れますし、両方でも、選べます。最初、両方を、免許証と、マイナンバーカードにも入れるということで、もらいまして、時代も変わりまして、IT化でそういう時代なのかなと、思います。私は、生まれたのは、松戸のそこの春雨橋という橋がございまして、その先、今京葉銀行さんとか、その先の郵便局本局があります。その春雨橋の間のところにある、福岡書店という、本屋を代々、代々というほどではないのですが、三代目になるのですが、やっておりまして、そこの長男として、生まれました。ちょうど私が生まれたころは、1950年というと、朝鮮戦争が勃発した年で、まだまだ45年に戦争が終わって、戦後まもなくて、食料も大変厳しい時代で、それから、朝鮮戦争があって、景気が少し上向いてきて、私が物心ついたころは、食べるものはそんなには、不自由しなかったけれども、たぶん私が生まれたころは、まだまだ、食料の統制とか、配給とか、いう制度がありまして、お米だってたぶん、配給、配給まではいかないのかな。たぶん、砂糖なんかは、配給で、それ以上はもらえない。とか。いろいろあって、そんな時代に生まれまして、それで、たまたま商売やっているところに、生まれたものですから、いままで苦労もなく、テレビドラマじゃないのですが、「人生楽ばかり」で、ずっと過ごしております。大学を出まして、そのままどこも就職することもなく、ちょっと人がいなかったものですから、そのまま店を継いで、入りまして、なんだか知らないうちに、名目だけ数年したら社長になっていまして、でも、父が死ぬまで、実権はずっと握っていまして、私はお飾りで、おりました。昭和56年、10月に結婚致しまして、娘が二人おります。今は、孫が3人おりまして、上の娘に一人、下の娘に二人、下の娘は男と女一人ずつおります。という家族構成であります。私が就職しました年が、ちょうどオイルショックの直後でございまして、昭和49年に卒業したのですが、48年がオイルショックだと思いました。ちょうど伊勢丹を作っていまして、資材、今と一緒ですね、資材高騰で、半年ぐらい伸びたような記憶があります。今、伊勢丹のあと、キテミテマツドが立っているところは、私が出ました小学校の跡地でございまして、今は小学校西口真っ直ぐ行って、逆川を渡ったところの、左側に、中部小学校という、学校なんですが、そこの跡地を、再開発して、駅前の西口の再開発で、全部、そういうような状況になったような、ところでございます。松戸は、その後は、今日は杉山会長いないし、市長も実は私の高校の後輩なのですが、松戸さんは。他の市長さんに取り残されて、どうも経済的には、あまり活発な町ではないのですが、そんなようなことでございまして、私の今やっている本屋、福岡書店なんですが、これちょっと父が書き残したので、それを読むだけ。うちの書店の歴史をちょっと紐解かせていただきますと、昭和3年、私の祖父 福岡喜四郎 が 柏に松戸にあった、坂入書店という書店があったらしいのですが、それの支店として、柏の駅前で独立し開業したのが基でございます。その坂入書店さんというのが、その春雨橋のたもとに、今、広場みたいになっているところに、ほとんどの方、ご存知ないのですが、昔倉庫みたいなものが、立っていたんですね。そこのところが、坂入書店さん、という書店さんで、ここの、松戸、柏、それから、埼玉県三郷とか、そこらへん一帯の教科書を扱っていて、そこそこ、大きな書店さんで、それが、どういう事かわからないのですが、昭和8年に、経営が行き詰ったみたいで、私の先々代が、その当時、いくつかにわかれまして、私のところは、松戸のここら辺を、教科書を扱わせて頂いて、柏は、浅野書店さん、ご存知ですかね。今は、浅野書店さんは、辞めちゃって、こっちに入ってしまったんですね。西口さんもあったし。それぞれ分かれて行って、やらさせて頂いた、というので、松戸に移ってきまして、その春雨橋の先の、ところの3丁目で本屋をしばらくやっておりまして、父の代に、昭和40年か41年、ここには40年4月と書いてあるのですが、その3丁目から、北松戸の駅の近くへ移転しまして、それでやっていたのですが、駅から50m、くらい引っ込んでいたものですから、私の代になって、北松戸の駅を降りるとすぐに、6号線になりまして、そこの角のところを、ビルの1階を借りまして、しばらくやっておりました。そのうちに、そこは借りているところが町山さんといって、市会議員の町山宏之さんの、お父さんの孝之助さんの持ち物で、松戸ロータリークラブに入られていました。やっていたのですが、バブルが崩壊して、1995年、うちもそうなんですが、この業界、書店業界のピークでございまして、それから、坂道を転げるように落ちるように、書店業界、ずっと、どんどんどんどん縮小しまして、ひとつは、一番最初は、ルートがちょっとあれで、コンビニが台頭してきて、コンビニに雑誌がいっぱい置いてあったり、それで少し、影響を受けまして、そのうちにアマゾンが出てきましてね、アマゾンで影響を受けて、一番影響を受けたのは、これですね、(携帯、パソコン)これで活字文化は、活字のものがかなり、影響を受けまして、私どもの書店業界、それから、新聞関係は、かなり影響を受けたんではないかと思います。最盛期は、全国に2万数千件1995~6年が、ピークだと思うのですが、ちょっと今、データがはっきりとわからないのですが、わかる範囲ですと、2003年には、2万880軒 全国で書店がありまして、これは、会社の事務所なんかも入れるんで、正確な数字ではないですけれども、昨年、2003年 2万880軒あったのが、20年後の2025年1万417軒、ほぼ半減する。実際には8000件くらいしか、本の売り場を持っているところはない。それも、残ったのは、だいたい大手のチェーン店、町中の書店さんは、ほぼ無くなりましたね。うちも10年くらい前に、北松戸で、小規模ながら、やっていたのですが、それも閉めまして、うちの場合は、たまたま文科省の検定教科書をやらさせて頂いたものですから、それに特化致しまして、実をいうと、お店の書店をやればやるほど、赤字なんですよね。辞めた方が、はっきりいって利益がでます。(笑)いまは、だからそういう状況でございますので、昨年でしたっけ?斉藤健先生がいらっしゃったのは。今は、経産省が、町の本屋さんを元気にして、日本の文化を守る、経産省の議員連盟ですね、経産省も、書店のことを、いろいろあれしまして、今、言ったように議員連盟の、幹事長を斉藤健さんが、やっていらっしゃったと。ということで、そのまま、町の本屋さんを、なんとか守って、日本の文化を守ろうと、ということで、盛んにやっているんですが、なかなか現実は、難しいと思いますね。残っている本屋さんは、大手以外は、その中小の、個人みたいなところは、みんななかば教科書をやっているから、残っていられるので、普通にやっていると、個人の書店はほぼ難しいだろうと、いうのが現状だと思います。大手の、紀伊国屋さんですとか、ここらへんだと、三省堂さんとか、蔦屋さんとか、そういうところ以外は、ちょっと残るのは、難しいだろうなと、というんですが、欧米を見ますと、独立系書店といいまして、自分でセレクトした本で、自分の趣味嗜好にあったものを、中心にそのお客さんを、周りの地域を、ニーズももちろん含めて、ある種クラウドファンディング的な事も絡めながら、やっている。そういうやり方の書店があるのですが、それが逆に伸びてきまして、欧米では、そういう形の個人商店さんが、伸びていると。日本もそれを真似して今、5坪10坪、そういう小さな本屋さんで、というのが、少しずつ、これから増えていくんじゃないかと、いままでのイメージする書店とはちょっと違うようなタイプの書店が、出てくるんではないかと。このへんもちょっとそれが、日本に合うかどうかちょっと、わかりませんが、昔からあるのは、絵本とか、児童書ですね、お子様向けの本は、昔から、それに特化した書店さんが結構、 ありまして、いままでのような、状態ではなくなってくるんじゃないかと、思います。

 

時間がないのでロータリーの話に移るのですが、私のロータリー歴は、1982年、私が31才のときに、結婚して、孫ができたのですが、松戸中央RCが、82年にできるということで、うちの父がご存知の方、わかると思うのですが、「明日から、お前、ロータリーだから。」というようなことで、(会場 大笑)皆様ロータリーにはいるときに、誘われて、いろいろお考えになって、お入りになったかと思うのですが、私の場合は、「明日から、入るんだ。」というような、そういう状況でございまして、1988年6月に、中央RCができるので、その前に、松戸RCへ、入会させて頂いたんです。できる前に、数か月。 その頃の松戸RCは、はっきりいって、堅苦しくて、うちの父から、皆、上のような方ばっかりですから、今でいう、当然、土屋さんはじめ、より上の方が、いっぱいいらっしゃるわけで、行くと、居心地が悪くて、(会場 笑)本当に辛かったですよね。1月から6月ですから、4から5か月おりましたかね。そのときに、関口様のお父様が、幹事か、SAAか、ちょっと忘れたのですが、いらっしゃって、関口のお父様と、私と、5つか6つしか、違わないのですが、もう堂々とされてましてですね、それはそうなんですよね、関口のお父様は、25~6のときに、(会場より 24才のとき)に入られて、そのときは、もう30才半ばすぎてますものですから、10年以上、関口さんのお父さんは、ロータリーの、経験がございましたので、今は、いろいろと、教えて頂きまして、中央RC、1982年6月に承認されまして、そこの市民会館、そこでやったんです。前がキリスト教の教会。そこの先生も入っていらっしゃいまして、そこも私の出た、保育園のところでございます。そこのやったところは、昔、裁判所だったんです。裁判所は、そっちに移って、大昔。私はそういったことで、中央RCのチャーターメンバーという、それで、この西RCができたのが、1986年、6月ですか。4年後ですね。これも突然、父から、西RC作るんで、お前、移籍しろ。ということで、これはウチの父と関口さんのお父さんが、色々、働いて、西クラブを作られたんですが、私の父と、それから関口さんが、松戸RCから、移籍すると。私と、藤井徳太郎さんという、ほとんどご存知ないでしょうが、不動産屋さんが、北松戸にありまして、その方と一緒に、私は西クラブに、移れと。「移る」ではなくて、「移れ。」ですね。と、言われまして、それは場所が、北松戸の私のすぐ隣が、玉姫殿という、結婚式場だったんですね。以前、西クラブに、松丸隆さんという、いらっしゃいましたけれども、そこのお父様が経営されている、式場がありまして、そこが、最初の会場だったものですから、そういうこともあったので、この西クラブへ、移籍させて頂いたというところでございます。うちの父は、一番最初は、やはり、松戸RCに、正確にはわかりませんが、松戸RC昭和31年ごろ、できたということで、それから数年後に入会させて頂いた、ということで、うちの父と同期は、椎名さん。今は義理のお父さん。それから、林さん。と3人、同期で、入ったということを聞いております。

 

最後ですが、私の好きな言葉というか、徳川家康の、遺訓というのがございまして、「人の一生は、重荷を持って、行くがごとし。」と、いうのと、あとは、「一所懸命」山本さんが、30周年にあれを(日めくりカレンダー)を作って頂きましたよね。そのときに、「一所懸命」を載せて頂いたのですが、「一所懸命」という言葉が好きでございまして、「一所懸命」は、今は、「一生懸命」 一生の生、懸命ですが、基本は、「一所」「一所懸命」というのが、これが、武士が、領地をもらって、そこで「一所懸命」ひとつの個所で、「一所懸命」やって、領地を守って、命を捧げて守る。と、というところから、「一所懸命」というのが、きてる。というのですが、現在は、ほとんど、「一生懸命」 ということで、使われているのが、通常かと思います。あとは、最後に、本屋で、この本の題名は、私にぴったりだと。というのは、チェコスロバキア生まれの方で、ミラン・クンテラという、作家がおりまして、チェコ動乱のあと、フランスへ半分亡命みたいな形で、逃れられた方なんですが、1929年の生まれで、亡くなられたのが、2023年、つい最近なんですが、その方が、1984年に書いた本で、原書をそのまま直訳すればどういう意味になるのか、ちょっとわからないのですが、日本語訳で、「存在の耐えられない軽さ」ということで、私にぴったりの、(会場 笑)題名ではないかと、ということで、話を終わりたいと思うのですが、後は、もうちょっと時間があれば、ロータリーで、今は五大奉仕ですか、ありますが、国際奉仕で、今まで、ロシアとウクライナが戦争をしたり、ガザでいろいろやって、人は、有史以来、ずっと戦争だとか、紛争だとか、ずっと、やっているわけですよね。なんで、人間は、知恵があるのに、これを止めないのか。ということで、これは一つの、こういう本があるのですが、これは、人は、題名、さっきと全然違いまして、「人は何故、戦争をするのか」と、という題名で、これを書いたというより、これは、実はアインシュタインと、フロイトの、書簡、交換書簡を、文にしたものなんですが、これは流石で、非常に本質を突いた内容だと思いますので、これを喋ってしまうと、本が売れないので、(会場 大笑)是非、本屋でございますので、ひとつよろしくお願いします。(会場より どこに買いに行くの?)そこらへんの本屋で売ってます。薄い本です。すぐに読めますので、講談社の、学術文庫、税別で900円です。是非、ご興味のある方は、ということで、本日は、拙い話でしたが、これで話を終わらせて頂きます。ご清聴、大変ありがとうございました。

 

 

 

委員会報告

杉浦 昌則会員 グルメ会より 10月4日(土) 秋の落鮎をやな漁で鑑賞・堪能する会

 

稲葉 のりひさ会員 ラーニングセミナー実行委員会より 11月11日(火)森のホール21 レセプションホールにて ラーニングセミナー2025 開催されます。

40周年実行委員会より 本日実行委員会があります。

 

石井 弘会員 ガバナー補佐より連絡です。ガバナー公式訪問 10月7日です。例会 ガバナー卓話後、クラブ内にてディスカッションを行います。

 

河合 直志幹事 8月末 理事会報告事項です。今後、夜間例会のみ食事代が、2000円アップになります。夜間例会2000円分が食事代になります。お酒代は各自精算願います。次週より実施します。

 

お祝い披露

 

会員誕生祝い 

河合 直志会員

 

福岡 秀実会員

 

宮野 守会員

 

神谷  繁樹会員

 

 

ニコニコ発表 川上 伸夫会員

 

点鐘 竹内 義彦副会長

 

閉会

 

2025年9月10日