第1656回例会(2021.11.9)を開催しました

第1656回例会(2021.11.9)を開催しました。

本日のお客様

矢切地区風致保存会会長

松戸市議会議員 深山 能一様

 

会長挨拶 森 義隆会長

 こんにちは。本日は外部卓話として矢切地区風致保存会会長の深山 能一様をお迎え

しました。深山様は松戸市議会議員としても活躍されております。本日は貴重なお話

を伺えるものと思います。深山様どうぞよろしくお願い致します。

 

 先週の会長挨拶でも述べさせて頂きましたが、今月は「ロータリー財団月間」で

す。ガバナー月信11月号でも詳細の記載がされておりますのでかいつまんでお話しさ

せて頂きます。そもそも私たちロータリーは地域社会や国際社会で人々の暮らしや地

球環境を守るために様々な支援を行っています。その支援は人道的支援であったり経

済的支援であったり様々です。そして最も重要なことはその支援にはすべてお金が必

要となっていることです。支援先は経済的に困窮している国もあれば、意外なことに

先進国のように発展している国も含まれています。また、地球環境という視点で見る

と、災害の地域も含め支援先は多岐にわたります。

 このように世界の現状を一度まとめ、必要な国や地域に必要な支援ができるように

調整を図るのがロータリー財団の役割とされています。ロータリー財団はグローバル

補助金を始め、ポリオ根絶に対する支援、ロータリー平和センターへの支援(日本で

は平和センターが国際基督教大学内に設けられている)などが具体的な活動となりま

す。

2013年からは「未来の夢計画」として地区補助金やグローバル補助金のモデルを創り

上げ、身近な地域社会への目に見える支援を可能にしてきました。

ガバナー月信にはこのように結ばれています。

「「未来の夢計画」を上手に利用し、地域社会や世界に対してよいことをしていきまし

ょう。私たちロータリアン一人ひとりが支えているロータリー財団をもっと身近に感

じて支援していきましょう。ロータリー財団は私たちが将来のロータリアンに対して

ロータリー活動のバトンを渡していくためになくてはならない存在です。 

 私たちには世界の人々の暮らしを守り、地球環境を維持していく責任を担っています。世界の人たちのために我らロータリーはこれからも前へ進みます。

「SERVE TO CHANGE LIVES 奉仕しようみんなの人生を豊かにするために」このRIテーマを続けていくためにチャレンジしていきたいと思います。

 西クラブでも今後中長期のビジョンを考えるうえで、ロータリー財団の活動を視野に入れて検討してまいります。まずその第一弾として、来週は2020ビジョンについてご意見を頂きました山田会員から卓話を頂きます。よろしくお願い致します。

 

 以上本日の会長挨拶でした。ありがとうございました。

 

幹事報告

山本 衛幹事

先日行われた例会にて、短歌を制作して、投稿を行いました。

その結果

第16回初恋短歌大会にて

選者賞 山田 正記会員

受賞をしました。

他に。

秀作 神谷 繁樹会員

秀作 川上 伸夫会員

秀作 山本 衛会員

です。

 

ビジョンレポート2020を印刷してきました。

来週の夜間例会にて 山田 正記会員による卓話があります。是非、ご一読してください。

 

地区大会 御礼

世界ポリオデー・トレインジャックプロジェクト 報告と御礼

ロータリー研究会 ゾーン1・2・3 記念講演へのご案内

RLIよりブラッシュアップセミナーのご案内

財団月間につき、財団リソースのご案内

RYLA セミナーのご案内

松戸西RCによる、21世紀の森広場 遊具設置プロジェクト 芳名の写真のご案内

 

本日の例会内容

 

矢切地区風致保存会会長

松戸市議会議員 深山 能一様による 卓話

矢切地区風致保存会について

  それでは皆様、こんにちは。(会場 こんにちは。)こういう席に呼ばれて、話しをするというのは、なかなかないもんですから、ちょっと緊張しておりますし、ある意味お知り合いのかたもいらっしゃるものですから、なんとなく身内がいるというか、本当に、逆に緊張するところなんですが、今日は本当にありがとうございます。今日は、会長はじめ、神谷様はじめ、卓話ということでご依頼を頂きまして、何を話そうかなと、思う中で、矢切地区風致保存会の話しとか、今、皆さん方のところにお手元に配布をさせていただきました短歌の関係、それから、商工会議所の「ブリッジ」で、作って頂いた矢切地区の紹介記事を増冊、今、営業をさせて頂いております、「野菊の蔵」という観光案内所で、来られた方に配布をさせて頂いている資料ですけれども、こんなものを皆様方にお配りをさせて頂いて、風致保存会というか、矢切の事もすこしお話、PRをさせて頂いて、もしよろしかったら、天気の良い日に、散策をしていただければありがたいかなと、思ってお話をさせていただければと思います。まずは、矢切の初恋短歌大会、矢切の里文学祭の初恋短歌大会にご応募頂きましたこと、心から感謝申し上げます。本当にありがとうございました。今、ご案内頂いたように、会員の方で、入選されたり、賞をとられたりということで、本当に、おめでとうございます。塩入先生が、例会で、短歌のお話を、といいますか、イロハを教えられたということでございますけれども、この初恋短歌大会というのは、16年続けさせて頂いておりまして、当初ですね、ちょうど、伊藤左千夫の「野菊の墓」という、小説ができて100周年ということで、16年前にそのイベントをさせ て頂いたのが、きっかけでございました。そこで、松戸短歌会の塩入先生を中心に、選者の先生に、投稿して頂いた短歌を、それぞれ、毎年毎年、選出して頂きまして、こういう冊子にして頂くのと、入選をした一般の方8名、学生の方8名の方々の碑を、できれば私の思いなんですが、矢切の渡しから、野菊の墓の文学碑があるところの、許される路上の上に、それぞれの碑を作って、建立していこうと、いうことです。いままでの方の歌は、江戸川の土手の一里塚のところですとか、人の集まるところに建立をさせて頂いております。ありがたいことに、短歌、一般の方ですと、おかげ様で全国から応募があるようになりましたものですから、そういう方々が、訪れて頂いてですね、野菊の墓や観光案内所に寄って頂いたりしているのが、昨今の状況でございます。、皆様方に、地域を愛して頂けるような、環境が、少しずつ整っていっているのかなと、そんな思いで、今いるわけでございます。何故「初恋」なのかと言いますと、伊藤左千夫の「野菊の花」の文学が、初恋がテーマに描かれているものですがから、悲恋なんですが、初恋をテーマにさせて頂きました。短歌の先生によりますと、全国で初恋をテーマにした短歌の大会というのは、ここだけなんだそうです。短歌の先生も、できれば、なるべく、深山が元気なうちは、続けて欲しいと(会場 笑)と、いうようなことを、仰っられるんですが、どこまで続くかなと、思いますし、ある意味、折角乗りかかった船ですので、ライフワークに、自身の立場は変わっていくと思いますが、皆様のお力を頂きながら、やっていければなあと、思っております。今は、小学校のほうでも、授業として短歌があるわけですけれども、そこで扱って頂くなかで、学校の生徒さん達が、市内外を問わずに、応募してくれてまして、だいたい今年が1000首ぐらい、多いときは、1500首くらい、各学校から頂きまして、それを生徒さん皆さんに配布をさせて頂いております。本当に感謝する次第でございます。

 

さて、矢切風致保存会、の話ということで、実は今、「野菊の墓」の話がでましたけれども、伊藤左千夫の小説が、「野菊の墓」、実は、矢切「やきり」「やきれ」が舞台でして、そこに、いろんな形のなかで、関わっていた、「やきれ」に住んでいらっしゃった方、文化面の方々、例えば、木版画の奥山儀八郎先生。その方が「やきれ」に木版画の工房を作りまして、そこで制作をはじめました。ご子息さんお亡くなりになられてしまったんですが、その工房がございます。それから、小説毛の水上勉先生。これは有名になる前の話ですけれども、奥様が、この水上先生の生活をさせるために、夜のお仕事をされているときに、矢切「やきれ」に住んでおられたのでして、小説を書く中でですね、だんだん有名になっていって。あるいは、古いところでは、夏目漱石さんの小説のなかに、「やきれ」が出てくるわけですけれども、この間、残念ながら閉店をしてしまった、柴又のですね、川甚さん。川甚さんのお名前が、「それから」という小説に出てきたり、あるいは、それから、市川の八幡学園にいらっしゃいました、山下清さんが、よくこちらに歩いて、柴又の、花火の切り絵を作ったり、文化面での人々が多くいらしたというなかで、伊藤左千夫もどちらかというと、裕福な家庭のなかで、こちらに出てきて、散策をしていったということで、地元の生まれ故郷を思って作った作品が、「野菊の墓」という小説なんだそうです。そういう流れのなかで、それを知っている方々が、文化的な、遺産を残していくというか、培っていこうということで、昭和39年くらいに、矢切地区風致保存会が発足をして、「野菊の墓」の文学碑を建立させていただきました。当時は伊藤左千夫さんの、四女の方が、いらっしゃいましたんで、その方を、お招きをして、建立の式典をして、作ったわけです。今は、「野菊の墓」の文学碑ですとか、矢切苑とか、矢切の庚申塚とか、そういう地域のいろいろな要所要所のですね、拠点になるようなところの、管理をさせて頂いているのが、矢切地区風致保存会でございます。又、10年くらい前に、いろいろな関係で、「野菊の蔵」という観光案内所を設立させて頂いて、柴又も今、観光地ですので、沢山の方が来られるのですが、こちらに来るとなにもないじゃないかというなかで、そのことを随分言われ続けてきたのですが、なんとか、頑張っていこうということで、「野菊の蔵」という観光案内所を設立させて頂いて、ボランティアで、土日ですね、祭日、地元の女性の方々にお手伝いをして頂いております。そういうなかで、矢切風致保存会が今、活動させて頂いております。また一方で、無形文化的なものですと、「やきりばやし」というものがございまして、これは、「かさいばやし」「えどばやし」の「かさいばやし」の流れを汲むもので、「おはやし」なんですが、その活動を、側面から応援していこうということで、矢切神社というなかに、「やきりばやし会」というものがございまして、そこの子供たちが、「やきり」の「おはやし」を、毎週土曜日、練習をして、お祭りですとか、お正月ですとか、演奏しています。あるいは、地元の小学校や、「やきりばやしクラブ」というものが、できあがりまして、そこでいろんな活動を、して頂いています。先程、会長ともお話させて頂いたのですが、もともと、細川たかしさんの歌で、「矢切」ということで、「やぎり」という名称になってしまいましたが、もともとは、「やきれ」あるいは、「やきり」という地名で呼ばれていたんです。、歴史を紐解きますと、1500年代に、国府台の合戦、相模台の合戦があって、北条氏と里見氏が戦って、そこで、矢が尽きちゃって、負けてしまったということが、「やぎり」矢喰村、矢を断ててしまう村、その戦場的なお話が、一般的なロマンを呼ぶんですが、もともと江戸川が、大変な、荒れた川でございまして、皆さんが利根川と呼んでいたんですが、それが太日川という名称になって、最終的には、江戸川という、名前になるわけですけれども、対岸にいた柴又村の方々が、葦やヨシを刈るために、こちらに渡って、やっていたら、それが季節ごとに、渡って刈っていたんですが、いつの時代からか、定住するようになった。それを、「やっから」という、場所なんですが、「やっから」という名まえになっているんですが、葦やヨシを刈るのを、「やっから刈り」というんですが、その「やっから」というところから、「やきれ」という風になっていったんじゃないかというのが、地元のほうの説でございまして、「矢切の渡し」も昔は、「やっからの渡し」と、言われていたんですね。450年くらい前から続く、農民の、渡し船ですけれども、そこが、昔は柴又側が持っていたものを、矢切村に、譲って頂いたといいますか、多分財政的な問題もあったんだと思うんですが、矢切村が持つようになって、いまは、杉浦家に、矢切村から、杉浦家に、「あなたが船守りをしなさい。」ということで、今、5代目、6代目が運営、をしているところです。今、「青天を衝け」でも、大河ドラマでも、血洗村の話しが出たり、深谷のネギの話が出たりしてますけれども、矢切も同じように、利根川の氾濫によって、肥沃な土地が出来たものですから、そこで、ねぎを作ることが可能になって、希少価値、生産が少ないですけれども、「矢切ねぎ」ということで、ブランド名を頂いて、多くの方々が、私が子供のときよりは、かなり、知名度が上がりました。おかげ様で、今、インターネットが流行っておりますので、去年の方のリピーターが多いものなので、市場に販売しなくても、ほとんど、今年の分は、全部完売。去年のうちに完売。の予約が入っている。というのが、おかげ様で、ありがたい、お話を頂いているのですが、そんなような、農家の方の状況です。もちろん、全員の農家の方が、そういう訳ではないんですが、若い方なんかが、一生懸命やっている農家は、そんな状況が、あるというようなところでございます。今の状況を少し、お話したほうがよいのですかね。矢切の農家の方ががんばっているわけですけれども、矢切の土地というのは、120ヘクタールくらいございまして、江戸川を挟んで東京に一番近い場所ということで、松戸市にとってですね、一番貴重な土地ということで、昔から、いろんな話しが出てきております。ご案内のように、今、矢切地区は、5年前に、物流倉庫の話が、持ち上がりまして、それがどうなるんだろうと、いうことに、今、なっているわけですけれども、市の考え方としては、これから、矢切地区、石井先輩がいらっしゃいますけれども、主水新田のほう、それから、北千葉道路計画がある大橋地区、この3つがですね、調整区域のなかとしては、将来をきちっと考えていかなくてはいけない地域ということになっています。今年と来年、再来年にかけてですけれども、調整区域のなかの、土地利用計画を、きちっと考えましょうということで、社会的環境が、変わるなかで、どうしていくか。松戸市に、財政を豊かにできるような形の、方向性をきっちり考えていこうということで、お願いをして、検討していく。例えば農業を守るにしても、いろいろな手をくわえていって、将来の道筋をきちっと、立てて、農業を守っていくということが、とても大切だなというふうに感じる一人なんですが、そんなことも、是非、風致保存会の活動をしていますと、観光案内所に訪れた方、あるいは、農家の方を含めて、将来の矢切地区のことを考えていきたいというような声が多ございますますから、そんなことの活動も、少しずつ、やっていくような形になっているのが昨今でございます。柴又の寅さんが、映画が無くなりまして、来場者がぐっと減っております。そのために、寅さんサミットという、企画を立てて、町おこしをされてますけれども、どちらかというと、今、減っている状況になっています。手前どもの対岸のほうは、昔からの、農村で、なにも無かったところに、細川さんの歌がヒットしたものですから、(会場 笑)面を喰らってしまいましてですね、今後どうしていこうかというのが、一番の大きな課題なんですが、交流人口を増やしていく。そのことが、ある意味、地域にとって一番、大切なことなんじゃないかなと、いう気も致しますから、そのことも、地区保存会に携わりながらですね、地域のことを、そして、皆様方のいろんなご理解を頂きながら、お力添えを頂ければ、ありがたいかなと、思いながら、活動をさせて頂いてます。いづれにしましても、初恋短歌大会に、16回を数えることができたのも、今日、お集まりの皆さん方、興味を持って頂いてですね、ご投稿して頂いているのが、本当に皆さまがたのお力添えで、なっているんだなと、いうふうに思ってますから、出来る限り、継続をさせて頂いてですね、矢切の地域、あるいは、文学を発信していければ、ありがたいかなと、思っている一人であります。また、西ロータリーの皆様方には機会があれば、なにか言いつけて、御支援、御指導頂ければ、ありがたいかなと思いますので、どうぞ、よろしくお願い致します。今日は本当にすみません。手前どものPRみたいになってしまったんですが、益々の皆様方のご発展を、お祈り申し上げまして、拙い卓話ですが、終了させて頂きます。本日は、誠にありがとうございました。(会場 拍手 拍手)

2021年11月9日